東日本大震災で

2016年11月22日 (火)

建物がゆれて

 自宅の部屋にひとり、ぼくは布団の中で眠っていた。携帯電話につないでいるスピーカーフォンが、枕もとでさわいでいる。
「地震です。地震です」
 寝ぼけ眼でテレビのリモコンを押そうとするが、手があさってのほうへいってしまう。脳性まひという障害のために起きる不随意運動というもので、日によって、思わぬほうへ手がどったんばったん動くばかりだったりする。
 手がダメなら、鼻を使えと、鼻でボタンを押す。やっと、テレビがついた。頭がはっきりしていないが、朝の6時ぐらいだろうか。起床介助のヘルパーさんが自宅に来るまでは、あと1時間近くあった。
 建物のきしむ音がして、ちょっと大きな揺れがなんどかあった。
 津波がきます。沿岸にいる方は、避難してください。テレビで呼びかけていた。
 東日本大震災のときのことが浮かんだ。あれからもう、5年は過ぎているのか。自宅のトイレが壊れて使えなくなったんで、ぼくは福祉施設へ避難していた。
 その1日目は、何が不安かっていうと、はじめて会う介助者ばかりで、人によっては意思の疎通がままならない。舌がもつれ、言葉がはっきりしないためである。
 ぼくは知的障害の伴わない脳性まひ、というのは専門員の判定である。
 けれど障害があるのは、身体だけか。知的も伴うのか。どっちなのか。
 初めて会った人が見て、区別するのがむずかしい。だいたいは、重度の知的障害があるとみられてしまうだろう。
 ふだん関わるヘルパーさんがそうでは困る。外出先では、ま、しょうがないかと思う。
 なれない歯医者さんにあやされ、そのまま合わせていたこともある。
「はい、痛くないからね~。ほら、横、みてみて。かわいいおねえちゃんいるでしょ。おねえちゃん、かわいい人、手ぇあげて」
 歯科助手さんなのか、横にいるそのおねえちゃんを、ちらっと見てニッコリし、
「は~い」
 たしかに歯医者さんは少し誤解はしていたけれど、それなりにコミュニケーションをとりながら、痛みや苦しさを和らげようとしてくださっていた。根はいい人だったのだ。
 東日本大震災のあった5年ほど前のことがよみがえる。避難先の福祉施設で、不安になっていた。
「あ~、知らない人ばかりの施設の中でいったい、ぼくは、どうなるんだぁ」
 介護員さんが部屋にきて、
「尾崎さん、みましたよ、ブログかくんですね。みんな心配してますよ」
 たくさんのメッセージが書き込まれているよ、と教えてくださった。そのころは、だれでもコメントできるニフティサーブのブログサービスを使っていた。避難先の施設の係の人に名刺を渡していたが、ブログのURLも印字してあったのだ。
 携帯電話でブログをみる。なんと、からかいのコメントをしていた人まで、ご無事ですか、と書いてくれているではないか。あれからだいぶ月日が流れていたはずである。
 ほんとうは、いい人だったんだ……。心細かったこともあり、胸にじんわりくるものがあって、目に涙がにじむ。
 それがきっかけで、施設の職員さんも、みんなぼくのはっきりしない言葉を注意して聞いてくださるようになり、安心したのをおぼえている。
 わたしの名字は、変わっているんですよ。尾崎さんの実家、うちの近くじゃないですか。
 避難先の施設の職員さん、利用者さん、ほかにもお世話になった方々がいた。いろんな人とふれあえた思い出が浮かんでは消えていく。
 また部屋がゆれた。どっきりして、
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」
 東日本大震災のときは、運がよかったのだ。
 大きな地震がまた来たら、避難先がどこになるか。
 話すのに舌がもつれ、言葉がはっきりしないのも、脳性まひの運動神経の障害によるものだ。
 こんど知らない人ばかりになったら何日も、お願いや話をまともに聞いてもらえない状況にならないか。
 それは、いやだ~。

2011年9月 2日 (金)

ちいさなたのしみ

 しんと静まりかえった夜、部屋で布団に寝ていると、虫の声が外からしてくる。もう秋か、とひとり呟く。
 会う人だれもが、
「なんか、ことしは、早かった気がするなぁ」
 微笑しながら、ぼくもうなずく。
 千年に一度ともいわれる大きな地震があった。長町南(仙台市)のぼくのアパートの部屋も散らかった。電子レンジや炊飯器が落ちた。トイレの床が水に濡れた。
 しばらくそのままようすをみていたけれど、余震がおさまらない。建物が倒壊するかもしれない。夜の八時半にみえたのは、物静かな三十代の男のヘルパーさんだった。
「このままだと心配なので、避難して一晩、ようすをみませんか」
「そうですね」
 ぼくはうなずいた。そのだいぶ前、役所の人にきいた。
「地震が起きたら、どこへ避難すればいいんでしょう」
 脳性まひ、という障害で手足が不自由、ことばも満足には話せない。介助がないと食事もトイレもできないし、バリアフリーへの配慮も必要である。
「いちばん近い小学校へ、まずは避難してください。そこから、体の障害の状態に合ったところへ誘導されますので…」
 訪問していたヘルパーさんに、小学校の避難所のようすをみてきてもらった。
「トイレがちょっと、むずかしそうなんで、設備のある区役所に避難したほうが、安心かもしれません。行きますか…」
「そうですね、そこにお願いします」
 夜の九時過ぎにアパートを出た。どの家の窓も明かりはなく、道は暗かった。車いすを押してもらいながら、避難所へ向かう。ヘルパーさんが、尾崎さん…、と大きくため息をついた。
「皮肉なもんですね。こんなに星がきれいな空なんて、何年ぶりだろう」
 思わずぼくも、見あげる。オリオン座、北斗七星、北極星がくっきり輝いていた。
「ああ…、ぼくも、もう何年ぶりかです」
 区役所で一晩すごす。毛布を二枚かけてもらったけれど、寒さでほとんど眠れなかった。余震はずっとおさまらず、あちらこちらで悲鳴があがった。
 もう少しケアの体制の整った特養施設へ、区役所の職員の配慮で避難することになる。
 あれからもうすぐ、六ヶ月になろうとしている。いまはアパートの部屋で、いつもの日々に戻り、夕べも静かな夜だった。
 平成二十三年九月二日、ベランダの窓を開けてもらうと、ひんやりした心地よい風が吹き抜けた。
 近くの道を車が水しぶきを上げて行き交う。外は雨が降りしきっていた。こんどは規模の大きな台風が、南のほうでゆっくりと北上しているらしい。
 ベランダのほうを開けてもらっていたけれど、しだいにむし暑くなってきた。
 サンバイザーをかぶり、頭を動かしながら、パソコンのキーをひとつひとつ打っていく。運動神経の障害で、自分の意思に関わらず、強い力が入る。背中が汗ばんできた。
 ふうっと息をついてベランダへ目をやると、レースのカーテンがぬれていた。風が強くなってきて、雨が吹き込んだようだ。昼近くにみえたヘルパーさんに窓を閉めてもらう。
「今週末、土曜と日曜、台風で荒れるみたいですよ」
 いろんな人から聞いていて、今週末は、出かける予定を立てずにいたが、正解だったようだ…。
 各地で起きているゲリラ豪雨のようすや高波の映像が、テレビから流れてくる。
 この台風が去るまでは、何日かかかるだろう。
 ひと息ついて、カレンダーをみる。
──風呂の日か。今夜は何があるんだろう。
 番組表へ目をやる。いつもみている〈美男ですね〉というドラマが十時にあった。
 入浴の介助にみえていた小太りの三十代の男のヘルパーさんが、
「韓国ドラマの日本版に出る女の子、名前、わかんないんですけど、かわいいなぁと思いまして…」
 おそらくドラマは、〈美男ですね〉だろう。そして、かわいいと言っていたのは、わけあって男のふりをしていなければならない役を演じている、瀧本美織という十九、二十歳の女優さんのことだろう。
 なんとなく気になってみた。切ないけれど、コミカルなところもあって、気晴らしになるドラマだった。
「尾崎さんはやっぱ、志田未来とか、いいんですよね」
「どうして知ってるんですか」
「ブログ、みてますから」
「ハハハハ、まいったな」
 介助のときはなぜか、ぼくの頭がそのヘルパーさんのおなかにあたって、何度かはずむ感じになる。
「…ああ、すみませんね。なんでこんなに、おなかがでっかくなったんだろう。もうすぐ食欲の秋で、さらに大きくなったら困りますよね」
 とジョークを飛ばす、目の細い、人のよさそうな顔が浮かぶ。
 どのヘルパーさんがみえるかわからないけれど、風呂上がりは、缶酎ハイでほろ酔い気分になり、そのドラマをみるのがきょうのたのしみだ。
 よし、がんばろう。
 割りばしをつけたサンバイザーをかぶり、パソコンのキーを打つ。
 ひと息ついて、窓の外へ目をやる。一日でもいいから、ぼくもイケメン男子になって、あのころ片思いだった、あの子に会いたい。今夜は降りつづくかもしれない雨の音が、そんな安らぎの中へと誘ってくれるだろうか…。