日記・コラム・つぶやき

2017年1月20日 (金)

空気が冷たくて

 指先が特に、思うようには動かせない。外へ出ると、たびたび、
「ティッシュを……」
 介助者がいなければ、鼻がかめないのである。脳性まひ、という障害のためだ。
 電動車いすに乗せてもらっても、ひとりでの散歩はとうぶん大自然の神がゆるしてくれそうにない。冷たい空気の刺激で涙がぼろぼろ、鼻水も流れて、冴えないオッサンの顔が、さらにたいへんなことになってしまうからだ。
 自宅にいると午前十時に、玄関のドアがひらく。
「よろしくお願いします」
 ヘルパーさんがきて、ぼくはキッチンへ這っていった。
 冷蔵庫をあけてもらって、中をみる。足りなくなっている食材があった。
 ヘルパーさんについてもらい、電動車いすで近くのスーパーへ出かけたのだった。
 スーパーの入り口を通る。温かくてホッとした。鼻水をすすってあたりを見回し、食材売り場へ進む。
 納豆ご飯とか質素な食事が多かったから、たまにはサーモンの刺身もいいか。いや、熱燗をきゅっといっぱい。煮込みおでんも、いいなぁ……。
 店内に流れるアナウンスが、
「もうすぐ節分です」
 遠い時代、病気や災いは鬼のしわざと信じ、豆で払った行事と解説が続く。
 赤鬼青鬼のマンガチックなお面がぎょろりとしたまなこで、行き交う買い物客をみていた。
 正月のつもりでいたら、もう節分が迫っているのか。日のたつのが早いのは年を重ねたせいなのだろうか。こんど誕生日がきたら、ぼくも五十なのか。あぁ……。
 用が終わってスーパーを出た。
 吹いてくる風が冷たくて、またブルッとしてしまう。
 平成二十九年一月二十日、きょうは大寒である。
 空を仰ぐと雲が広がっていた。
「風邪ひかないでね」
 ささやく声がして、みまわすが、それらしき人はない。そばの木が、かすかにふるえ、心なしか寒そうだった。風邪ひかないうちに、ぼくも早く帰ろう。

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2016年11月22日 (火)

建物がゆれて

 自宅の部屋にひとり、ぼくは布団の中で眠っていた。携帯電話につないでいるスピーカーフォンが、枕もとでさわいでいる。
「地震です。地震です」
 寝ぼけ眼でテレビのリモコンを押そうとするが、手があさってのほうへいってしまう。脳性まひという障害のために起きる不随意運動というもので、日によって、思わぬほうへ手がどったんばったん動くばかりだったりする。
 手がダメなら、鼻を使えと、鼻でボタンを押す。やっと、テレビがついた。頭がはっきりしていないが、朝の6時ぐらいだろうか。起床介助のヘルパーさんが自宅に来るまでは、あと1時間近くあった。
 建物のきしむ音がして、ちょっと大きな揺れがなんどかあった。
 津波がきます。沿岸にいる方は、避難してください。テレビで呼びかけていた。
 東日本大震災のときのことが浮かんだ。あれからもう、5年は過ぎているのか。自宅のトイレが壊れて使えなくなったんで、ぼくは福祉施設へ避難していた。
 その1日目は、何が不安かっていうと、はじめて会う介助者ばかりで、人によっては意思の疎通がままならない。舌がもつれ、言葉がはっきりしないためである。
 ぼくは知的障害の伴わない脳性まひ、というのは専門員の判定である。
 けれど障害があるのは、身体だけか。知的も伴うのか。どっちなのか。
 初めて会った人が見て、区別するのがむずかしい。だいたいは、重度の知的障害があるとみられてしまうだろう。
 ふだん関わるヘルパーさんがそうでは困る。外出先では、ま、しょうがないかと思う。
 なれない歯医者さんにあやされ、そのまま合わせていたこともある。
「はい、痛くないからね~。ほら、横、みてみて。かわいいおねえちゃんいるでしょ。おねえちゃん、かわいい人、手ぇあげて」
 歯科助手さんなのか、横にいるそのおねえちゃんを、ちらっと見てニッコリし、
「は~い」
 たしかに歯医者さんは少し誤解はしていたけれど、それなりにコミュニケーションをとりながら、痛みや苦しさを和らげようとしてくださっていた。根はいい人だったのだ。
 東日本大震災のあった5年ほど前のことがよみがえる。避難先の福祉施設で、不安になっていた。
「あ~、知らない人ばかりの施設の中でいったい、ぼくは、どうなるんだぁ」
 介護員さんが部屋にきて、
「尾崎さん、みましたよ、ブログかくんですね。みんな心配してますよ」
 たくさんのメッセージが書き込まれているよ、と教えてくださった。そのころは、だれでもコメントできるニフティサーブのブログサービスを使っていた。避難先の施設の係の人に名刺を渡していたが、ブログのURLも印字してあったのだ。
 携帯電話でブログをみる。なんと、からかいのコメントをしていた人まで、ご無事ですか、と書いてくれているではないか。あれからだいぶ月日が流れていたはずである。
 ほんとうは、いい人だったんだ……。心細かったこともあり、胸にじんわりくるものがあって、目に涙がにじむ。
 それがきっかけで、施設の職員さんも、みんなぼくのはっきりしない言葉を注意して聞いてくださるようになり、安心したのをおぼえている。
 わたしの名字は、変わっているんですよ。尾崎さんの実家、うちの近くじゃないですか。
 避難先の施設の職員さん、利用者さん、ほかにもお世話になった方々がいた。いろんな人とふれあえた思い出が浮かんでは消えていく。
 また部屋がゆれた。どっきりして、
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」
 東日本大震災のときは、運がよかったのだ。
 大きな地震がまた来たら、避難先がどこになるか。
 話すのに舌がもつれ、言葉がはっきりしないのも、脳性まひの運動神経の障害によるものだ。
 こんど知らない人ばかりになったら何日も、お願いや話をまともに聞いてもらえない状況にならないか。
 それは、いやだ~。

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2016年10月31日 (月)

ハロウィンの魔法使い?!

 暗闇でひとりになると、とたんに静電気や建物のきしむ音がする。就寝介助が終わって部屋の明かりを消し、ヘルパーさんが、おやすみといって玄関を出たあとだ。
 ちなみにぼくには脳性まひという障害があり、手足が満足には動かせない。介助が必要なため、日中は二、三時間おきに自宅にヘルパーさんがくる。
 夜はまわりが静かだからだろう、といつもは気にもしないが、このところはなぜか就寝後、やけに大きな音がしていた。かけてもらった布団の中で、ハッと目をひらいてしまうことが多い。
 布団の横にすわっている気配がするが、ひとりでいる部屋にお化けがいたって、べつにかまいはしないのである。
 街のあちらこちらで、カボチャをくりぬいてお化けの顔にした飾り物が、十月に入って見かけるようになった。女子が目や口から血を流していたり、男子がフランケンシュタインのような傷をつけたりする化粧がある。そんなお化けの仮装でのお祭り騒ぎのようすが、よく朝の情報番組で流れていた。
 朝食介助でいっしょにみていた、あまり年代がぼくとちがわないだろう主婦のヘルパーさんが、
「あんなの、なにが楽しいのかねぇ」
 などというたび、
「そうね」
 と口を合わせていた。心のうちでは、
――ぼくも、あのなかに、はいってみたいな。
 中身は子ども、見た目オッサン、コナンくんと反対(._.)オジギ
 年の数に、中身が追いつかないのは、いまさら悩んだところで、もう変わらない気がする。
 日本に古くから伝わるお化けのイメージはジメッとしている。都心の街中で仮装された外国のお化けさんたちは、みているだけでうきうきしてくるようだが、それは活気のせいだろうか。
 毎年十月に行われるようになったこのお祭り騒ぎは、いつごろから日本に入ってきたのだろう。なんでもハロウィンといって、秋の収穫を喜び、悪魔を払う行事として、古い時代から外国で伝わったものらしいが……。
 就寝時の消灯後、眠ろうとすると、パ~ン、パシッと大きく音がしていたのは、そんなお化けさんたちが、ぼくのところにもまわってきていたからかもしれない。
 子役の本田望結ちゃんみたいなかわいいお化けさんなら、むしろ歓迎である。いや、この白髪まじりの冴えない四十九歳のオッサンの姿を何とかしないと、かわいそうだな。もしかするとこの姿も、ハロウィンのお化けにまじった魔法使いにみせられている夢だったりするのか。
 それなら解けさえすれば、ジャニーズ系のイケてる少年の姿になるはずと、このところは夜毎、祈りの念に力をこめている。
 オッサンの夢よ さようなら~

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2016年10月17日 (月)

精神年齢テスト!?

 眼科の待合室に入ると、鼻水がたれそうになった。
 ヘルパーさんに車いすを押してもらい、地下鉄に乗ってきたが、外の空気は風が吹くとだいぶ冷たかったからだ。自宅を出たのは、朝の8時30分にならないころである。
 待合室は70代の人が5人ぐらいで、ぼくと同じように眼底検査できているひともいたようだ。
 車いす健康診断の時期になるたび、役所で申し込みの手続きをするのだが、がくぜんとするのは、用紙に書いてもらった年である。
「ぼくはほんとうに、49歳なのか」
 そして思う。この年齢になると、親心がわかるようになるね、と語られることが年々多くなっていくのはなぜなのか。子育ての経験がなくても、齢を重ねれば、わかるようになるものなのだろうか。価値観や考えは、年の数で、足並みがそろうものなのか。またそのたび、
「たしかに」
「なるほど」
「そうね」
 とわからないのに相づちをうっているが、われながらなぜそうしているのか、首をかしげたりする。ずっとしっくりこない感があったけれど、最近になって気づいてきた。深い意味など、考えなくていいのかもしれない。たとえば、
「きょうは、いい天気ですね」
 とあいさつするようなものではないか。
 40をすぎれば迷わない、という意味のことをむかし中国にいた偉い先生が言っていたそうだが、それもよくわからなかった。年と共に、わずらわしいことがふえていくばかりのような気がするけれど、そのなかで自分なりにやっていくすべを見つけていく。あんぽんたん頭で考えてみるに、その確立こそが、中国のいにしえの先生の言葉につながるのだろうか……。
 49歳とはしかしながら、年が明けて、誕生日が来れば50である。よく健康診断でひっかかっているところはありますか、と聞かれ、そのたび、まだありませんね、と答えると、
「尾崎さんの年で、マジですか」
 とびっくりされてしまう。が、年下の人にうらやましいといわれると、なんとなく得意になったりしていた。
 今年の結果はどうだろう。いまわかっている項目は、異常なしで、全部の結果は来月に出ることになっている。
 ちなみにインターネットに精神年齢テスト、というのがあってやってみた。結果をフェースブックに呟いているとき、心のうちでほっとしている自分がいた。
「やっと、6歳になりましたでしゅ」

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2016年9月30日 (金)

並んだご婦人さんに

 散策への道すがら、キンモクセイの香りが、ほのかに漂ってくる。近くの家の庭に木があるが、もう咲いたのだろうか。
 アスファルトの路面を枯れ葉がちらほら、乾いた音をたててころがっていく。
 長町南はこのところ、雨の日が続いていたので自宅にいる日が多かった。せっかくの晴れ間である。
 脳性まひという障害で手足が満足に動かせず、話すにも舌がもつれてはっきりしない。そのため、介護サービスを利用しながら暮らしている。
 きょう二人目のヘルパーさんが用が終わって帰るとき、外においてある電動車いすへ移乗してもらった。十二時三十分ごろである。
「お気をつけて」
 次のヘルパーさんの訪問は二時間後だから、それまでに戻れば玄関から中へいれてもらえる。
 平成二十八年九月三十日、久しぶりに仰ぐ青い空である。夏から続いていた灼けるような陽射しがだいぶ和らいで、ロンT一枚では日陰になると少し肌寒かった。
「もう、秋風だな」
 住宅地を抜けると、大通りに沿って深い緑が続いている。このケヤキの並木も、もうすぐ赤や黄色に染まるだろう。
 長町南から長町をへて、広瀬川をみに行こうとしたが、手前であわてて引き返した。忘れていたわけではないが、ぼくは、高所恐怖症だったのである。
 胸がドキドキしてきたので、引き返した。
 電動車いすを操作しながら歩道を進んでいると、こんどはすらりとした足があらわれて、前方の視界を阻んだ。
 その足は、道の右前方をみようとすれば、右へきてかくしてしまう。それなら左がわをみようとすれば、左にきてしまう。
 立って歩いている人ならいいかもしれない。電動車いすの高さでは、超ミニのスカートの人が行く手にあらわれるとまっすぐ前を見ていられない。特に男としては、困ってしまうのである。少しとまってみる。長い髪でおしゃれをした服装は、外回り中のどこかのOLさんだろうか。
 もう時間がない。このおねえさんを、なんとか追い越せないものか。
 広い道になって、追い越せた。やった。
 ホッとしていると、逆に追い越されて、
「はあ……」
 さっきの高いところからの、広瀬川の眺めのせいだろうか。それとも、電動車いすの操作にくたびれてしまったのか。息がもう、はかはかしていた。
 信号を待つあいだ、すぐ後ろを歩いてきていたご婦人さんが横に並んで、温かな笑みを浮かべ、会釈した。どうも、とぼくもお辞儀した。さっきからご苦労さん、という、いたわりの笑顔にも見え、ちょっぴり恥ずかしくなった。
 前方の超ミニのおねえさんに教えてもらうわけにはいかないので、横のご婦人さんに聞いてみたかった。
 夏とか秋だけでなく、冬でも短いスカートをはいたりするけど、女のひとって、寒くないのかしらん?

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2016年6月30日 (木)

手をかりずとも、ぼくだけの小さなしあわせ

 窓辺で膝立ちになり、いくらか利くほうの左のひじで、レースのカーテンをめくる。
 空には暗い雲がひろがって、道の並木の葉がゆれていた。雨が降って、どんよりしたけしきが広がっている。
 うでを引っ込め、レースのカーテンが閉じる。
 平成二十八年六月三十日、長町南(仙台市)は朝から雨が降っていた。
 おもてへ出られない日は、パソコンを使って銀行のオンラインサービスで残高を確認し、取引明細を見ながら家計簿ソフトへ入力していく。
 脳性まひのため体が満足に動かせないだけでなく、言葉も舌がもつれてはっきりしない。利用しているサービス窓口や店でも、電話で用を済まそうとすると、
「酔っ払っているんですか」
 ガチャンときられたりして、そのたび、
「ショックーッ……」
 つぶやいているときがあった。
 いまはパソコンが使えれば昔できなかった、たいがいの用がひとの手をかりなくてもすませられる。便利になった、としみじみ思う。
 障害者施設を出て、介護サービスを利用しながらのアパート暮らしをはじめたときは、それでなんとか仕事ができないかと探していた。しかるべきところへ相談もしていたのだけれど、できるものが見つからなかった。
 ぼくには脳性まひで起きる筋緊張からくる頸椎症の痛みがあり、むりができなくなっていたからである。発症したのは、三十を過ぎたころだろうか。
 そのころ世話になっていたお医者さん、リハビリの先生から、
「子どものときとか、若いときにむりしてきたことが、いまになって体に出はじめてるんだな。いろいろがんばるのはいいけれど、ほどほどにしないとね。ガクンときたら、そのままずっと寝たきりになってしまうことだってあるから……」
 ずっとそう言われていた。その心配もあって仕事は断念し、生活保護を受けながらいまのかたちで暮らしている。
 重度の障害者が施設を出て、地域のアパートを借りて暮らすには、生活保護を使うしかないのである。
 生活保護はもともと、健常者が一時的に働けなかったりしたときに使う制度だから、活動するにも制限が多い。
 体が不自由でも精神的に自立し、いろんな人が暮らす地域の一員として、できることを探していきたい、と施設を出たのに、この制度が壁になって、地域でやりたいと思っていたことが阻まれる面があるのは悩ましいものである。
 障害者の地域生活を支えるための、ちゃんとした制度を作ってほしいと訴えても、お偉い政治家さんたちにとっては、後回しの項目なんだろうな、と思う。たぶん、ずっとだろう。そして同じ思いは、ぼくのような障害者だけではなかろう。
 お偉い政治家さんたちは、戦闘機や戦車を優先してお金をたくさん使っているけれど、そんなに何を守りたいのだろう……。
 ぼくのあんぽんたん頭では、とうてい想像が及ばない。
 とりあえずぼくは、サンバイザーに割り箸をつけたのをかぶり、頭を動かしながらパソコンのキーが押せる。
 ひとりで近所を散策するための、電動車いすもある。
 ないものより、あるものを数えていこう。自分に言い聞かせるように、つぶやいてみたりする。
 少しくたびれた心を癒やしたいと、部屋でいま流しているのは、菊池桃子さんの〈青春ラブレター ~30th Celebration Best~〉である。
 いちばんつらかった十代のとき、心を支えてくれた歌い手さんで、はじめはラジオから流れる声でしか知らなかった。歌は舌足らずでうまくはないんだけれど、優しい女の子が、がんばって、とささやきかけてくれているようで、癒やされた思い出がある。
 あれから何十年もたったいまの歌声は、どうなんだろう。
 パソコンしているとき、インターネットの〈mora〉のサイトで見つけた。
 買おうか、やめようか……。
 迷っていたが、どうしても気になって、先日思い切って買ってみたのである。
 音楽ファイルになっていて、ホームページからダウンロードする形である。CDだとヘルパーさんに頼んで、パッケージを開けたりセットしたりしてもらわなければならない。データーファイルの形だと、人の手をかりなくても、買って再生までできるから、ありがたい。
 菊池桃子さんは年を重ねてもきれいだけれど、歌声はどうか。がっかりしないか、という不安があったが、
「お~~~」
 障害児者の施設のなかで辛く苦しかった若かかりしころの、ぼくの心を支えてくれた、あの癒やしの歌声は健在だった。
 女の子のささやきが、お母さんの歌になっている。
 ゆっくりしたテンポのジャズ風、というよりは、子守歌だった。
 ちょっとのつもりで布団に横たわって聴いていたら心が安らぎ、眠りに落ちてしまっていた。

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2016年6月16日 (木)

梅雨入りして

 ベランダの窓の向こうにどんよりした空が広がって、雨音がかすかにきこえます。
 室内にはったロープに干してもらった洗濯物が、扇風機にあおられていますが、この時季はなかなか乾かないですね。
 6月になってから、月の半分がすぎてしまいました。
 じつは、先日、誕生日だったんです。自分じゃ信じられませんが、49になりました。40にして迷わず、という言葉があり、若いころはちょっと信じておりました。ずいぶん大人のようにみえた年代です。そうです。この月はぼくの年がひとつ多くなる月でもありますが、変わったことといえば、白髪が少し増えたとか、そういったことぐらいです。
 手足が満足に動かず、舌がもつれ、言葉がはっきりしないのは、脳性まひ、という障害のためです。アパートを借りて暮らしていますが、身の回りのことは介助が必要なので、日に6回、ヘルパーに来てもらっています。
 日々の中では、そのそれぞれのヘルパーの性格に合わせて関わる必要があるため、大人の演技をしていますが、一人になれば、自分に戻ります。
 日曜朝のテレビ、仮面ライダーゴーストを録画して、夜にみてたりもします。
 はい、
「中身は子ども、見た目オッサン、コナン君とハンタイ(._.)オジギ」
 マイペースでいこうと思っております。
 東北は3日前に梅雨入りしたので、しばらくじめじめした日が続くのでしょう。
 そういえば、あじさいがきれいな近所の家の庭があるんですが、今年ももう咲いているのかな…。

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2015年3月19日 (木)

どこの病院!?

 包帯を巻いている人、車いすの人が食堂に集まって、夕食をとっている。なぜ中ジョッキーの生ビールがつくのか。どこがわるくて、病院にいるのか。
 脳性まひ、という障害で手足が不自由なぼくも、車いすでテーブルについて、パクパクしていると、
「気ぃ使わないで、楽にして、食べていいよ…」
「はっ、はい」
 介助の人にやさしい笑みを浮かべ、話しかけてもらっているのに、かたまってしまって、返答ができない。ふだん、こんなことはないはずなのに、なにがどうなっているのか、さっぱりわからないでいると、目が覚めた。
「なんだ、夢か」
 ただ、いつもの目覚めより、すがすがしく、ふしぎな感覚が残った。あの菊池桃子さんが、そばにいてくれるなんて、ありえんだろう。
 10代のころは、障害児の施設でもいちばんつらい日々だった。そんな時期に、壊れそうな心を支えてくれた歌い手さんなのである。うまくはないのだが、舌足らずで、やさしくささやきかけてくれるような声に癒やされていた。
 うまい歌を聴きたいなら、美空ひばりさんだろう。あのころ施設内で流れていたが、ぼくの心に響かず、雑音にさえ思えた。子どもだったからか…。人によってちがうフィーリング、というものが、歌にもあるのだろう。
 それにしても悪夢つづきだったのに、急になぜ、菊池桃子さんがあらわれたのか。介助してくれながら、なぜ、なんどもやさしく「気ぃ使わないで」と言ってくれたんだろう。
 うつつのぼくは、訪問介助でくる人々のことを、信じていいのかどうか、わからなくなってしまっている。ここ数年、ぼくにとってショッキングなできごとがつづいたからだが、それはとてもかけるものではない。いまは、
「尾崎さんちは、大勢の人が介助で出入りしてるんだから、そういうこともあるさ。気にしたって、しょうがないことだよ」
 と元気づけてくださる方ばかりであるが…。それさえ、信じていいのかどうか、わからなくなってしまっている。
 介護の現場は人手不足で年々、きびしくなっている。いくら心理の本を読んではみても、うまくやっていきたいと思っても、他人の心の中は見分けがつかないのである。作り笑顔でびくびくの日々、不安つづきで、心がくたびれていたことも否めない。
 いちばんつらい時期に支えてくれた歌い手さんが、こんなとき夢に出てきたのは、どういう巡り合わせか。中ジョッキーの生ビールが食事につく病院なんて、ありえんだろう。
 いや、もしかすると、ほんとうに夢の世界にある病院だったのかもしれない。変幻自在な医者みたいな何かが、まけるな、と見守ってくれているのかも…。

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2015年2月27日 (金)

へんなゆめ

 十畳ぐらいの部屋がいくつかある、白っぽい建物の中に、なぜかいた。
 知らない14、5の子たちばかりがたくさんいて、ぼくは、下級生になっている。
 みんな何かを待っているようだが、それがわからない。絵を描いていたり、小物を組み立てたり、あるいはおしゃべりしていたり、それぞれかたまって、すきなことをしていた。
 それより、これからみんな、どこへ行くのか、と、だれかに聞きたかった。
「ちょっとだけ、いっしょに行ってみる?」
 上級生らしいお兄さんが、かがんで聞くので、うなずいた。
 外へ出ると、幅の広い道が、建物の前にあった。渡った先に、楽しいところがあると、みんながいっている。
 いっしょに行こうとした。空から大人の声が響き、
「やってない勉強があるんじゃないか。いま来たいっていわれても、困るんだよ」
 言葉にならない思いが、間の抜けた声にのって少しだけ伝わってきた。白なら白、黒なら黒、びしっとできるように、なってほしいんだよ、と…。なんとなく、いまのぼくの心の問題をつかれているようで、ちいさくなっていると、目が覚めた。
 そうか、ぼくはもう子どもではなく、47のオッサンなんだ。時計をみる。起床介助のヘルパーさんがくるころだった。
 どこへ行こうとしていたんだ。よくわからん夢だったなぁ…。介助中、ぼんやりした頭で、首をかしげていたかもしれない。
「どうか、されましたか」
 こういうヘンな夢をみたんです、というと、ちょっと心配げに、
「これって」
 言われてあらためて、
「えっ、マジ、あの、あれ、ですかね」
 それより、あの空から響いた声が、いまもぐさりと、胸に残っている…。

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2014年11月10日 (月)

街路樹のおばさん

 電動車いすで歩道を行く。
 パリッ、パリ、と落ち葉を踏む音に、街路樹を仰いだ。ずっとつづいていた緑が、赤や黄、茶に染まっている。なんとなく、パーマをかけたおばさんが、道を行き交う人にはっぱをかけているようにもみえる。
 樹木や植物にも感情の変化がある、という実験結果があるらしい。だとしたら、いまのぼくは、どう思われてるんだろう。どっちつかずの、ただの意気地なし…。そうかもしれない。だれにでもやってくるジレンマに、すくんでいただけだ。
 近所へ用があって、アパートの玄関から外の電動車いすへ移乗してもらったのは昼近くだった。小鳥のさえずりが、コンクリートや建物に響く。青い空が広がり、陽射しは温かい。
 日陰にはいると、風の冷たさがいくぶんほおを刺すようになった。十一月十日、暦の上ではもう、立冬を過ぎている。
 行き交う車の排気ガスを浴びながら、街路樹は定められた場で、夏の暑さ、雨風のなかもふんばってたえてきたのだ。
――進むからには覚悟せんと、避けて通れんのがあるんや。すくんだら、あかんで…。
 なぜ関西弁なのか。あたりをみた。それらしき人はない。
 首をかしげる。髪を染めた街路樹のおばさんが、心なしかぼくをみながら、笑っている…。

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