日記・コラム・つぶやき

2017年10月18日 (水)

急に冷え込んだとて

 夕方に、ぐんと冷え込んだ日があって、すっかりあわてた。
 とりあえずその日は短時間で準備できること、石油ファンヒーターを出してもらった。
 寒くなると、体の不自由なぼくにとって、電気敷布も必需品なのである。
 次の日に電気敷布をふとんにしいてもらう。数日後、縫い物ができるヘルパーさんが来て、その敷布を、ずれないようにぬいつけてもらった。
 電気敷布を使うのは、明け方に寒くなったときである。体が思うように動かず自分でふとんがかけられないからだ。電気敷布のダイヤルは、手が利かないときは鼻を使えば動かせる。
 冬は寒くなり、そして夏は暑くなる。
 めぐる季節や日々の天気をぼやいたところで、向こう側をコントロールできるものではあるまい。
 寒風と冷雨が身にしみる日もあろう。そういうときは中をあったかくして、カッパを着ればいい……。

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2017年8月29日 (火)

眠っているときの警報、なんとかならないか

 朝早くに枕もとで大音量がして、たたき起こされた。
 ケータイに使っているBluetoothスピーカーだった。寝ていても電話に出れるよう、枕もとにおいている。
 地震がくるのかと、やっと頭をもたげ、携帯画面をのぞく。
 ミサイルが飛んでくるかもしれないっていう警報だった。北朝鮮で発射したらしい。ハワイへ向けた実験か。
 途中の日本に落ちるかも、ということだろう。
 人と人、国と国。
 世界に宗教は数々あれど、心理学の研究結果も数々あれど、現実は気の遠くなるほど複雑でややこしい。なかなか平和にいかないもんだ、とぼくは観念している。むずかしいことはもう、考えたくもない。
 この不自由な体で避難しろったってな、ミサイル飛んできたら、終わりだろう。いつでも覚悟はできてるんだよ。
 それよりぼくが怒っているのは、せっかくの安眠をさまたげられたことだ。
 ケータイ電話の会社か、政府か、どこに苦情を言ったらいいんだ。
 警報の音がうるさい。
 本田美結ちゃんか、広瀬すずちゃんの声にしてくれ。
  ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノしりふりダンス♪

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2017年7月26日 (水)

母におしえられ

 きのうは実家の母(七十代)が、昼過ぎ、ぼくのアパートにようすをみに来ました。
 玄関のドアが開き、
「おいっす」
 ぼくは返事をしました。
「おぉ」
「なんだべ、元気ねえな」
「元気だよ、おいっす」
 と返事しました。
 タツタッタッタ、玄関からキッチンを通って、泉ピン子に似た顔がのぞき込み、
「しんや、なんの日かわがっか。ウナギ買ってきたからや。半分ずつ食うべ!」
「え?」
 土用の丑の日、そんな時季なんだと知りました。
 目の前のことをこなしていくばかりで、気づけば月日の流れは、早いもんだと、黄昏れることもあったりします。いまのぼくはそんな日々です。
 が、離れて暮らしている母が、元気そうだと、ホッとします。
 そういえば〈SEKAI NO OWARI〉の曲、あれいいよ、と母が言っていました。
 一時間半ばかり、世間話をしたりして、帰って行きました。
 あとでYouTubeで探してみましたが、どの曲なのか、息子のぼくにはわかりませんでした。
〈SEKAI NO OWARI〉も、あらためて聴いてみると、元気をもらえるような、いい楽曲、いっぱいあるな……

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2017年6月29日 (木)

真夏の猛暑の予感

 あちこちでカラスが、かったるそうに鳴くのだ。住宅地の道のはじっこを、電動車いすではしりながら、へんだな、と首をかしげる。

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(白い帽子は誕生日プレゼント、友だちがくれました。いいでしょ(^^ゞ  )
 平成二十九年六月二十九日、昼ごろ、長町南周辺を散策した。大通りは、緑が濃くうっそうとした並木が続いている。仙台はもう梅雨に入ったはずである。いつもの梅雨時は涼しくて、トレーナーを着ていた気がする。ところが外は日ざしが強く、梅雨のさなかとは思えない。
 風があるから、まだそれほど暑いとは感じなかったけれど、背中やわきが汗ばむほどだった。
 あさってからさらに、「暑くなるみたいですよ」と、誰かが言った。あのかったるそうなカラスの鳴き声は、やがておとずれる真夏の猛暑を察知してのことか。
 きょねんは自宅のエアコンが、梅雨時に壊れ、1日か、2日後、大家さんが新品に取り換えてくれた。おかげで真夏も自宅は快適だった。もし壊れるのが猛暑の時期だったら、1日、2日は汗だくで過ごさなければならなかった。
 年々夏の外の暑さが厳しくなっているのは、たしかなのである。あのカラスたちのかったるい鳴き声が、
「今年はさらに暑くなる。ぼくらは色が黒くて熱を吸収してしまうんだ。日ざしが強くなったら、もうここにいると焼けちゃうよ」
「いつものとこはダメだ。ことしは、あっちだ」
「あっちまでいくのぉ、めんどうくさいなぁ」
 そんなやりとりでなければ、いいのだが……。

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2017年6月20日 (火)

垣根の謎の黄色い花

 ザ・モール仙台長町の交差点側の生け垣に茂った濃緑の葉にまじって無数の黄の花が、咲いていました。
 この前電動車いすで通ったときは、見ごろは終わりかな、と思ったのですが、どうやらいまが盛りの花らしい。
 なんていう花なんだろう。
 毎年眺め、ネットで検索しても出てきませんでしたが、またパソコンに向かい、調べてみました。
「いま咲いてんだから〈初夏〉といれて、〈黄色い花〉、〈生け垣〉でどうだ」
 すんなり写真つきであらわれました。
 これだ、なるほど。
〈キンシバイ(金糸梅)〉というそうです。
 写真が撮れればいいのですが、手が不自由で、ちょっとむりでした。
 興味をお持ちの方は、ネットで検索を……
 ひとつ、もやもやが晴れました(^^ゞ

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2017年6月 9日 (金)

あの黄の花は

 長町南の大通りの若緑の並木の葉が、いつのまにか濃くなっていた。店の建ち並ぶ歩道を、電動車いすで行く。
 向かいからの風がときおり強く吹き、あわてて下を向いて帽子が飛ばされるのを防ぐ。
 ほかの県から来たひとは、仙台は風が強いですね、という。冬が寒く感じるのはそのせいもあるかもしれない。緑が濃くなるいまごろの時期、特に暑い日は、その強い風も、かえって心地よい。
 平成二十九年六月九日、昼過ぎに電動車いすに移乗してもらい、しばし長町南(仙台市)の自宅から散策へ出た。
 六月ももう半ばになる。梅雨入りすれば、明けても今度はギラギラした陽の光にやかれる季節になり、ひとりでの散策はとうぶんできなくなると思ったからである。
 先日ララガーデン長町のショッピングモールへ入ったときである。車椅子用のエレベーターのボタンをげんこつの角で押そうとするが、なかなかあたらない。うでを伸ばして動かそうとすると、あさってのほうへいってしまう。脳性まひによる不随意運動といって、自分の意志と関係なく動いたり、動かなかったりする症状である。調子のいいときは、すんなりボタンが押せるのだけれど、やれやれ、まいったな、とため息をついていたところ、
「わたしがボタン、押すんで、こちらにのりませんか」
 ちいさい子を抱いた若いお母さんが声をかけてくださり、高い位置にボタンのあるほうのエレベーターに乗った。
 そして三階で下ろしてもらい、礼をいってわかれ、料理店などみてまわった。隣の同じショッピングモールの建物、ザ・モール仙台長町の家電コーナーへも行った。32型ぐらいでパソコンのモニターにもなるテレビがあればみてみたかったが、品数がなかった。大きな家電店が近くにあればいいのにな、と思う。
 建物を出ると、その垣根の葉に埋まって黄の花が、ぽつり、ぽつり、咲き残っていた。花の大きさは三、四センチで、おしべが輪のかたちになってめしべを囲んでいる。
 いつも気になっているが、春の終わりから初夏にかけ、毎年あの垣根に無数に咲く黄の花の名は、なんというのだろう……。

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2017年3月31日 (金)

ああ、磯野波平よ

 夕べ、テレビをつけたら、〈卒業〉をテーマにした歌番組をやっていました。しみじみと、そんな季節なんだとひとりつぶやいていると、きいたことのある声がします。
 曲の紹介をかね、それにまつわる思い出、視聴者からの投稿ですが、読みあげていたのは、あのかわいらしい子役の本田美結ちゃんでした。
 もう小学校を卒業したそうだから、子役とはいわないか。『家政婦のミタ』のテレビドラマで、あんなにちいさかったのに、中学生になるんだそうです。
 ぼくはぼくで気づけば、五年ぐらい先には『サザエさん』の、あのつるっぱげのお父さん、磯野波平がせまっています。
 とほほ……。
 夜になると、疲れがたまって、なんにもしたくなくなります。本田美結ちゃんの天使の笑顔がそこへあらわれ、そんなもの、もう、どこかへ、ふっとんでしまいました。

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2017年1月20日 (金)

空気が冷たくて

 指先が特に、思うようには動かせない。外へ出ると、たびたび、
「ティッシュを……」
 介助者がいなければ、鼻がかめないのである。脳性まひ、という障害のためだ。
 電動車いすに乗せてもらっても、ひとりでの散歩はとうぶん大自然の神がゆるしてくれそうにない。冷たい空気の刺激で涙がぼろぼろ、鼻水も流れて、冴えないオッサンの顔が、さらにたいへんなことになってしまうからだ。
 自宅にいると午前十時に、玄関のドアがひらく。
「よろしくお願いします」
 ヘルパーさんがきて、ぼくはキッチンへ這っていった。
 冷蔵庫をあけてもらって、中をみる。足りなくなっている食材があった。
 ヘルパーさんについてもらい、電動車いすで近くのスーパーへ出かけたのだった。
 スーパーの入り口を通る。温かくてホッとした。鼻水をすすってあたりを見回し、食材売り場へ進む。
 納豆ご飯とか質素な食事が多かったから、たまにはサーモンの刺身もいいか。いや、熱燗をきゅっといっぱい。煮込みおでんも、いいなぁ……。
 店内に流れるアナウンスが、
「もうすぐ節分です」
 遠い時代、病気や災いは鬼のしわざと信じ、豆で払った行事と解説が続く。
 赤鬼青鬼のマンガチックなお面がぎょろりとしたまなこで、行き交う買い物客をみていた。
 正月のつもりでいたら、もう節分が迫っているのか。日のたつのが早いのは年を重ねたせいなのだろうか。こんど誕生日がきたら、ぼくも五十なのか。あぁ……。
 用が終わってスーパーを出た。
 吹いてくる風が冷たくて、またブルッとしてしまう。
 平成二十九年一月二十日、きょうは大寒である。
 空を仰ぐと雲が広がっていた。
「風邪ひかないでね」
 ささやく声がして、みまわすが、それらしき人はない。そばの木が、かすかにふるえ、心なしか寒そうだった。風邪ひかないうちに、ぼくも早く帰ろう。

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2016年10月31日 (月)

ハロウィンの魔法使い?!

 暗闇でひとりになると、とたんに静電気や建物のきしむ音がする。就寝介助が終わって部屋の明かりを消し、ヘルパーさんが、おやすみといって玄関を出たあとだ。
 ちなみにぼくには脳性まひという障害があり、手足が満足には動かせない。介助が必要なため、日中は二、三時間おきに自宅にヘルパーさんがくる。
 夜はまわりが静かだからだろう、といつもは気にもしないが、このところはなぜか就寝後、やけに大きな音がしていた。かけてもらった布団の中で、ハッと目をひらいてしまうことが多い。
 布団の横にすわっている気配がするが、ひとりでいる部屋にお化けがいたって、べつにかまいはしないのである。
 街のあちらこちらで、カボチャをくりぬいてお化けの顔にした飾り物が、十月に入って見かけるようになった。女子が目や口から血を流していたり、男子がフランケンシュタインのような傷をつけたりする化粧がある。そんなお化けの仮装でのお祭り騒ぎのようすが、よく朝の情報番組で流れていた。
 朝食介助でいっしょにみていたヘルパーの、あまり年代がぼくとちがわないだろう主婦の人が、
「あんなの、なにが楽しいのかねぇ」
 などというたび、
「そうね」
 と口を合わせていた。心のうちでは、
――ぼくも、あのなかに、はいってみたいな。
 中身は子ども、見た目オッサン、コナンくんと反対(._.)オジギ
 年の数に、中身が追いつかないのは、いまさら悩んだところで、もう変わらない気がする。
 日本に古くから伝わるお化けのイメージはジメッとしている。都心の街中で仮装された外国のお化けさんたちは、みているだけでうきうきしてくるようだが、それは活気のせいだろうか。
 毎年十月に行われるようになったこのお祭り騒ぎは、いつごろから日本に入ってきたのだろう。なんでもハロウィンといって、秋の収穫を喜び、悪魔を払う行事として、古い時代から外国で伝わったものらしいが……。
 就寝時の消灯後、眠ろうとすると、パ~ン、パシッと大きく音がしていたのは、そんなお化けさんたちが、ぼくのところにもまわってきていたからかもしれない。
 子役の本田望結ちゃんみたいなかわいいお化けさんなら、むしろ歓迎である。いや、この白髪まじりの冴えない四十九歳のオッサンの姿を何とかしないと、かわいそうだな。もしかするとこの姿も、ハロウィンのお化けにまじった魔法使いにみせられている夢だったりするのか。
 それなら解けさえすれば、ジャニーズ系のイケてる少年の姿になるはずと、このところは夜毎、祈りの念に力をこめている。
 オッサンの夢よ さようなら~

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2016年10月17日 (月)

精神年齢テスト!?

 眼科の待合室に入ると、鼻水がたれそうになった。
 ヘルパーさんに車いすを押してもらい、地下鉄に乗ってきたが、外の空気は風が吹くとだいぶ冷たかったからだ。自宅を出たのは、朝の8時30分にならないころである。
 待合室は70代の人が5人ぐらいで、ぼくと同じように眼底検査できているひともいたようだ。
 車いす健康診断の時期になるたび、役所で申し込みの手続きをするのだが、がくぜんとするのは、用紙に書いてもらった年である。
「ぼくはほんとうに、49歳なのか」
 そして思う。この年齢になると、親心がわかるようになるね、と語られることが年々多くなっていくのはなぜなのか。子育ての経験がなくても、齢を重ねれば、わかるようになるものなのだろうか。価値観や考えは、年の数で、足並みがそろうものなのか。またそのたび、
「たしかに」
「なるほど」
「そうね」
 とわからないのに相づちをうっているが、われながらなぜそうしているのか、首をかしげたりする。ずっとしっくりこない感があったけれど、最近になって気づいてきた。深い意味など、考えなくていいのかもしれない。たとえば、
「きょうは、いい天気ですね」
 とあいさつするようなものではないか。
 40をすぎれば迷わない、という意味のことをむかし中国にいた偉い先生が言っていたそうだが、それもよくわからなかった。年と共に、わずらわしいことがふえていくばかりのような気がするけれど、そのなかで自分なりにやっていくすべを見つけていく。あんぽんたん頭で考えてみるに、その確立こそが、中国のいにしえの先生の言葉につながるのだろうか……。
 49歳とはしかしながら、年が明けて、誕生日が来れば50である。よく健康診断でひっかかっているところはありますか、と聞かれ、そのたび、まだありませんね、と答えると、
「尾崎さんの年で、マジですか」
 とびっくりされてしまう。が、年下の人にうらやましいといわれると、なんとなく得意になったりしていた。
 今年の結果はどうだろう。いまわかっている項目は、異常なしで、全部の結果は来月に出ることになっている。
 ちなみにインターネットに精神年齢テスト、というのがあってやってみた。結果をフェースブックに呟いているとき、心のうちでほっとしている自分がいた。
「やっと、6歳になりましたでしゅ」

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