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2017年7月

2017年7月26日 (水)

母におしえられ

 きのうは実家の母(七十代)が、昼過ぎ、ぼくのアパートにようすをみに来ました。
 玄関のドアが開き、
「おいっす」
 ぼくは返事をしました。
「おぉ」
「なんだべ、元気ねえな」
「元気だよ、おいっす」
 と返事しました。
 タツタッタッタ、玄関からキッチンを通って、泉ピン子に似た顔がのぞき込み、
「しんや、なんの日かわがっか。ウナギ買ってきたからや。半分ずつ食うべ!」
「え?」
 土用の丑の日、そんな時季なんだと知りました。
 目の前のことをこなしていくばかりで、気づけば月日の流れは、早いもんだと、黄昏れることもあったりします。いまのぼくはそんな日々です。
 が、離れて暮らしている母が、元気そうだと、ホッとします。
 そういえば〈SEKAI NO OWARI〉の曲、あれいいよ、と母が言っていました。
 一時間半ばかり、世間話をしたりして、帰って行きました。
 あとでYouTubeで探してみましたが、どの曲なのか、息子のぼくにはわかりませんでした。
〈SEKAI NO OWARI〉も、あらためて聴いてみると、元気をもらえるような、いい楽曲、いっぱいあるな……

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2017年7月10日 (月)

耳元でささやく声に

 自宅でふとんに寝ていると、左の耳元で、女の人のささやく声がして、
「しんや、しんや…」
 はっと目が覚めました。
 時計をみると、六時四五分、あと十五分で起床時間です。部屋にはまだ、ぼくしかいません。
 夏になると、〈ほんとにあった怖い話〉というオムニバスのスペシャルドラマをやっていたりしますが、夜、ひとりしかいない静かな部屋でぼんやり眺めながら、つくりもんだな、と思ったりしています。
 今朝の耳元でささやく声も、外のカラスの鳴き声が、そいうふうに聞こえたんだろうな、と思いました。
 かりにお化けだったとしても、それはそれでぼくは平気なのです。
 お金のからんだりする人や団体のいうことは信用しません。
 が、辛いとき、見えないところで支えてくれていたのかもしれないな、とあとからふりかえって、感じることはあります。
 数年前、とてもつらかったときがありました。
 これまで頑張ってきたことは、なんだったんだろう、と、気が滅入っていたのです。
 まったく別々の人から、
「反省なんて、なんにもしなくていいんです。あたりまえにしていても、災難はあるものです」
 それだけいわれておりました。
 朝目覚めてテレビをつけた瞬間、
「これまでやってきたことに、自信を持て!」
 という第一声が、タイミングよく流れてきたりということが多かった。美輪明宏さんが黄色い髪で出てきて、だいじょうぶよ、だいじょうぶだから、と笑みをたたえ、肩をなでてくれる夢もみました。多くは語らず、これからどうしたらいいか、ということは、ヒントもなにもありません。ただ、そういうことは落ち込んでいた時期にかぎってです。
 テレビなどの記憶のいたずらや常識だけでは割り切れないことがなんとなく、あるな、というような気もしています。
 みえないところからも支えられているような気がしながら、ぼくは生きています。

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2017年7月 6日 (木)

日によっては本田美結ちゃんだったりもする

 流れるCM、広瀬すずちゃんを拝めば、ガチガチになったオッサンの頭にも、草原のそよ風が、吹きぬけていく。
ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノしりふりダンス♪
 フェースブックを読み返してみれば、そんなつぶやきが多くて、われながら、なんじゃこりゃ、と思う。疲れがたまっているのだろう。日によって、すずちゃんのところが、本田美結ちゃんだったりする。そういうとき、子猫や子犬をみて、かわいい、と癒やされる感覚に近いかもしれない。
 頭の中は、おとぎの国なのだ。そこでのぼくの姿は、歌って踊れる、ジャニーズ系の少年ということになっている。
「あなたにとって、ちいさなしあわせって、なんですか」と問われれば、まちがいなく、そういう瞬間、と答えるだろう。
 生きていくために介助を必要とする者としては、年々不安が増している。福祉の支え手が少なくなっていき、合わないからといっても介助者を変えてもらうわけにはいかなくなろう。このままだとさらに日々の介助者との関わりだけで神経をすり減らすようになっていくのではないか。休む時間がないと、やっていけないわけである。
 日本のお偉いさんよ、新聞を読んでみたまえ。
 学校ではイジメによるとされる生徒の自死、電車内の痴漢逮捕、家庭内の問題で起きる事件。
 人と人との関わりは、口も満足、体も満足な人同士でさえ、むずかしいのである。
 そろそろ良心をあてにした福祉のかたちを、もっとシビアな目をもって変えていけないものなのか。介護職の給料があがらないかぎり、しっかりした人も集まるまい。
 ときたま、障害者はラクでいいな、なんて声を聞く。そういう人たちも、他の立場をわが身に置きかえられない、という障害を抱えているんだろうな。身体の障害を背負って五十年生きてきたいま、しみじみ思う。そういう人たちを福祉職に就かせて、いいわけがない。
 ほかの職種に就けない人も、世間体といったたぐいの理由だけから、しょうがなく就く仕事にしてしまわれては、ほんとうに困るのである。 
 体も動かず口もきけない人たちが、どんな心ない仕打ちに堪えて、つらい日々を送っているのか、ほんとうにわかってらっしゃるのか。かたちばかりの対策では意味がないのである。
 医学の進歩で診断名のつく病気がふえていよう。これまで健常者とされていた人たちにも、そのうちなんらかの障害名が診断されてついていくんじゃないか。
 健常者という言葉がなくなるころ、はたしてどうなっているのだろう。わかりあえる社会になっているか。もう人という類はいなくなっているのか。まあ、難しい話はいい。
 わかり合えない社会をふんばって生き抜くのに、この白髪まじりのオッサンの心も少々くたびれてきた。お手上げと思い、まけてしまいそうになるときがある。
 テレビ画面の向こうは遠い世界だけれど、それでもそこに広瀬すずちゃん、本田美結ちゃんの笑顔があらわれるだけで、もう少しがんばってみようという気持ちになれるのだ。
 テレビに関わる御方々、これからもたのみますぞ。

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