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2016年10月

2016年10月31日 (月)

ハロウィンの魔法使い?!

 暗闇でひとりになると、とたんに静電気や建物のきしむ音がする。就寝介助が終わって部屋の明かりを消し、ヘルパーさんが、おやすみといって玄関を出たあとだ。
 ちなみにぼくには脳性まひという障害があり、手足が満足には動かせない。介助が必要なため、日中は二、三時間おきに自宅にヘルパーさんがくる。
 夜はまわりが静かだからだろう、といつもは気にもしないが、このところはなぜか就寝後、やけに大きな音がしていた。かけてもらった布団の中で、ハッと目をひらいてしまうことが多い。
 布団の横にすわっている気配がするが、ひとりでいる部屋にお化けがいたって、べつにかまいはしないのである。
 街のあちらこちらで、カボチャをくりぬいてお化けの顔にした飾り物が、十月に入って見かけるようになった。女子が目や口から血を流していたり、男子がフランケンシュタインのような傷をつけたりする化粧がある。そんなお化けの仮装でのお祭り騒ぎのようすが、よく朝の情報番組で流れていた。
 朝食介助でいっしょにみていた、あまり年代がぼくとちがわないだろう主婦のヘルパーさんが、
「あんなの、なにが楽しいのかねぇ」
 などというたび、
「そうね」
 と口を合わせていた。心のうちでは、
――ぼくも、あのなかに、はいってみたいな。
 中身は子ども、見た目オッサン、コナンくんと反対(._.)オジギ
 年の数に、中身が追いつかないのは、いまさら悩んだところで、もう変わらない気がする。
 日本に古くから伝わるお化けのイメージはジメッとしている。都心の街中で仮装された外国のお化けさんたちは、みているだけでうきうきしてくるようだが、それは活気のせいだろうか。
 毎年十月に行われるようになったこのお祭り騒ぎは、いつごろから日本に入ってきたのだろう。なんでもハロウィンといって、秋の収穫を喜び、悪魔を払う行事として、古い時代から外国で伝わったものらしいが……。
 就寝時の消灯後、眠ろうとすると、パ~ン、パシッと大きく音がしていたのは、そんなお化けさんたちが、ぼくのところにもまわってきていたからかもしれない。
 子役の本田望結ちゃんみたいなかわいいお化けさんなら、むしろ歓迎である。いや、この白髪まじりの冴えない四十九歳のオッサンの姿を何とかしないと、かわいそうだな。もしかするとこの姿も、ハロウィンのお化けにまじった魔法使いにみせられている夢だったりするのか。
 それなら解けさえすれば、ジャニーズ系のイケてる少年の姿になるはずと、このところは夜毎、祈りの念に力をこめている。
 オッサンの夢よ さようなら~

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2016年10月25日 (火)

ぼくのストレス発散

 音楽データ保存用にI-ODATAのNASを、5年ほど使っている。
 当時、18,000円ぐらいだった。国語辞典ほどの大きさで、常時電源ONにしておける外付けハードディスクである。USBではなく、LANケーブルでルーターやハブを介してほかの機器とつなげる。
 NASの寿命は5年というから、最近買い足してデータをコピーし、2つにしている。こうしておけば1つが壊れても、安心だ。
 どう便利なのか。
 データをそこへ保存しておけば、LANケーブルでつながっているコンポで、いつでも音楽が聴けるのである。
 脳性まひで手が利かないため、割り箸をつけたサンバイザーをかぶり、頭を動かしてパソコンのキーを打つ。ぼくの場合は、そうしてインターネットの配信サイトからダウンロードした音楽データを、NASへコピーしておく。
 介助者がいなくても、気に入ったアーチストのアルバムの購入から再生まで、ひとりでできれば、プライバシーが守られることにもつながる。
 どんな音楽を聴くのかと聞かれたときは、〈いきものがかり〉や〈家入レオ〉や、あるいはクラシックを流してますと答えておく。
 日々のことにくたびれたなぁ、というときがある。
  時間がないんだ~ バスが動き出すから~♪(〈9nine〉“少女トラベラー”)
   エッ ホッ エッ ホッ
 ガールズダンスグルーブの曲を流し、膝立ちでしりふりダンスをしているとは、まさか、だれも思うまいな。

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2016年10月17日 (月)

精神年齢テスト!?

 眼科の待合室に入ると、鼻水がたれそうになった。
 ヘルパーさんに車いすを押してもらい、地下鉄に乗ってきたが、外の空気は風が吹くとだいぶ冷たかったからだ。自宅を出たのは、朝の8時30分にならないころである。
 待合室は70代の人が5人ぐらいで、ぼくと同じように眼底検査できているひともいたようだ。
 車いす健康診断の時期になるたび、役所で申し込みの手続きをするのだが、がくぜんとするのは、用紙に書いてもらった年である。
「ぼくはほんとうに、49歳なのか」
 そして思う。この年齢になると、親心がわかるようになるね、と語られることが年々多くなっていくのはなぜなのか。子育ての経験がなくても、齢を重ねれば、わかるようになるものなのだろうか。価値観や考えは、年の数で、足並みがそろうものなのか。またそのたび、
「たしかに」
「なるほど」
「そうね」
 とわからないのに相づちをうっているが、われながらなぜそうしているのか、首をかしげたりする。ずっとしっくりこない感があったけれど、最近になって気づいてきた。深い意味など、考えなくていいのかもしれない。たとえば、
「きょうは、いい天気ですね」
 とあいさつするようなものではないか。
 40をすぎれば迷わない、という意味のことをむかし中国にいた偉い先生が言っていたそうだが、それもよくわからなかった。年と共に、わずらわしいことがふえていくばかりのような気がするけれど、そのなかで自分なりにやっていくすべを見つけていく。あんぽんたん頭で考えてみるに、その確立こそが、中国のいにしえの先生の言葉につながるのだろうか……。
 49歳とはしかしながら、年が明けて、誕生日が来れば50である。よく健康診断でひっかかっているところはありますか、と聞かれ、そのたび、まだありませんね、と答えると、
「尾崎さんの年で、マジですか」
 とびっくりされてしまう。が、年下の人にうらやましいといわれると、なんとなく得意になったりしていた。
 今年の結果はどうだろう。いまわかっている項目は、異常なしで、全部の結果は来月に出ることになっている。
 ちなみにインターネットに精神年齢テスト、というのがあってやってみた。結果をフェースブックに呟いているとき、心のうちでほっとしている自分がいた。
「やっと、6歳になりましたでしゅ」

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