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2016年6月30日 (木)

手をかりずとも、ぼくだけの小さなしあわせ

 窓辺で膝立ちになり、いくらか利くほうの左のひじで、レースのカーテンをめくる。
 空には暗い雲がひろがって、道の並木の葉がゆれていた。雨が降って、どんよりしたけしきが広がっている。
 うでを引っ込め、レースのカーテンが閉じる。
 平成二十八年六月三十日、長町南(仙台市)は朝から雨が降っていた。
 おもてへ出られない日は、パソコンを使って銀行のオンラインサービスで残高を確認し、取引明細を見ながら家計簿ソフトへ入力していく。
 脳性まひのため体が満足に動かせないだけでなく、言葉も舌がもつれてはっきりしない。利用しているサービス窓口や店でも、電話で用を済まそうとすると、
「酔っ払っているんですか」
 ガチャンときられたりして、そのたび、
「ショックーッ……」
 つぶやいているときがあった。
 いまはパソコンが使えれば昔できなかった、たいがいの用がひとの手をかりなくてもすませられる。便利になった、としみじみ思う。
 障害者施設を出て、介護サービスを利用しながらのアパート暮らしをはじめたときは、それでなんとか仕事ができないかと探していた。しかるべきところへ相談もしていたのだけれど、できるものが見つからなかった。
 ぼくには脳性まひで起きる筋緊張からくる頸椎症の痛みがあり、むりができなくなっていたからである。発症したのは、三十を過ぎたころだろうか。
 そのころ世話になっていたお医者さん、リハビリの先生から、
「子どものときとか、若いときにむりしてきたことが、いまになって体に出はじめてるんだな。いろいろがんばるのはいいけれど、ほどほどにしないとね。ガクンときたら、そのままずっと寝たきりになってしまうことだってあるから……」
 ずっとそう言われていた。その心配もあって仕事は断念し、生活保護を受けながらいまのかたちで暮らしている。
 重度の障害者が施設を出て、地域のアパートを借りて暮らすには、生活保護を使うしかないのである。
 生活保護はもともと、健常者が一時的に働けなかったりしたときに使う制度だから、活動するにも制限が多い。
 体が不自由でも精神的に自立し、いろんな人が暮らす地域の一員として、できることを探していきたい、と施設を出たのに、この制度が壁になって、地域でやりたいと思っていたことが阻まれる面があるのは悩ましいものである。
 障害者の地域生活を支えるための、ちゃんとした制度を作ってほしいと訴えても、お偉い政治家さんたちにとっては、後回しの項目なんだろうな、と思う。たぶん、ずっとだろう。そして同じ思いは、ぼくのような障害者だけではなかろう。
 お偉い政治家さんたちは、戦闘機や戦車を優先してお金をたくさん使っているけれど、そんなに何を守りたいのだろう……。
 ぼくのあんぽんたん頭では、とうてい想像が及ばない。
 とりあえずぼくは、サンバイザーに割り箸をつけたのをかぶり、頭を動かしながらパソコンのキーが押せる。
 ひとりで近所を散策するための、電動車いすもある。
 ないものより、あるものを数えていこう。自分に言い聞かせるように、つぶやいてみたりする。
 少しくたびれた心を癒やしたいと、部屋でいま流しているのは、菊池桃子さんの〈青春ラブレター ~30th Celebration Best~〉である。
 いちばんつらかった十代のとき、心を支えてくれた歌い手さんで、はじめはラジオから流れる声でしか知らなかった。歌は舌足らずでうまくはないんだけれど、優しい女の子が、がんばって、とささやきかけてくれているようで、癒やされた思い出がある。
 あれから何十年もたったいまの歌声は、どうなんだろう。
 パソコンしているとき、インターネットの〈mora〉のサイトで見つけた。
 買おうか、やめようか……。
 迷っていたが、どうしても気になって、先日思い切って買ってみたのである。
 音楽ファイルになっていて、ホームページからダウンロードする形である。CDだとヘルパーさんに頼んで、パッケージを開けたりセットしたりしてもらわなければならない。データーファイルの形だと、人の手をかりなくても、買って再生までできるから、ありがたい。
 菊池桃子さんは年を重ねてもきれいだけれど、歌声はどうか。がっかりしないか、という不安があったが、
「お~~~」
 障害児者の施設のなかで辛く苦しかった若かかりしころの、ぼくの心を支えてくれた、あの癒やしの歌声は健在だった。
 女の子のささやきが、お母さんの歌になっている。
 ゆっくりしたテンポのジャズ風、というよりは、子守歌だった。
 ちょっとのつもりで布団に横たわって聴いていたら心が安らぎ、眠りに落ちてしまっていた。


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