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2015年3月

2015年3月19日 (木)

どこの病院!?

 包帯を巻いている人、車いすの人が食堂に集まって、夕食をとっている。なぜ中ジョッキーの生ビールがつくのか。どこがわるくて、病院にいるのか。
 脳性まひ、という障害で手足が不自由なぼくも、車いすでテーブルについて、パクパクしていると、
「気ぃ使わないで、楽にして、食べていいよ…」
「はっ、はい」
 介助の人にやさしい笑みを浮かべ、話しかけてもらっているのに、かたまってしまって、返答ができない。ふだん、こんなことはないはずなのに、なにがどうなっているのか、さっぱりわからないでいると、目が覚めた。
「なんだ、夢か」
 ただ、いつもの目覚めより、すがすがしく、ふしぎな感覚が残った。あの菊池桃子さんが、そばにいてくれるなんて、ありえんだろう。
 10代のころは、障害児の施設でもいちばんつらい日々だった。そんな時期に、壊れそうな心を支えてくれた歌い手さんなのである。うまくはないのだが、舌足らずで、やさしくささやきかけてくれるような声に癒やされていた。
 うまい歌を聴きたいなら、美空ひばりさんだろう。あのころ施設内で流れていたが、ぼくの心に響かず、雑音にさえ思えた。子どもだったからか…。人によってちがうフィーリング、というものが、歌にもあるのだろう。
 それにしても悪夢つづきだったのに、急になぜ、菊池桃子さんがあらわれたのか。介助してくれながら、なぜ、なんどもやさしく「気ぃ使わないで」と言ってくれたんだろう。
 うつつのぼくは、訪問介助でくる人々のことを、信じていいのかどうか、わからなくなってしまっている。ここ数年、ぼくにとってショッキングなできごとがつづいたからだが、それはとてもかけるものではない。いまは、
「尾崎さんちは、大勢の人が介助で出入りしてるんだから、そういうこともあるさ。気にしたって、しょうがないことだよ」
 と元気づけてくださる方ばかりであるが…。それさえ、信じていいのかどうか、わからなくなってしまっている。
 介護の現場は人手不足で年々、きびしくなっている。いくら心理の本を読んではみても、うまくやっていきたいと思っても、他人の心の中は見分けがつかないのである。作り笑顔でびくびくの日々、不安つづきで、心がくたびれていたことも否めない。
 いちばんつらい時期に支えてくれた歌い手さんが、こんなとき夢に出てきたのは、どういう巡り合わせか。中ジョッキーの生ビールが食事につく病院なんて、ありえんだろう。
 いや、もしかすると、ほんとうに夢の世界にある病院だったのかもしれない。変幻自在な医者みたいな何かが、まけるな、と見守ってくれているのかも…。

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