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2014年6月

2014年6月22日 (日)

夢の中も もうだめだ

 夜、布団を掛け、消灯してもらう。用が済み、就寝介助のヘルパーさんがアパート玄関を出ると、ぼくは闇の中でしばし祈る。
――志田未来ちゃん、どうか夢に出てきて、やさしくしてください。ディズニーランドか遊園地へいっしょに行きたいです。
 もう10年ぐらいか、心の支えになってくれていたあこがれの女優さんも、21歳になって、もうすぐ結婚したいという。そうなったらやはりショックだけれど、次、探すしかあるまい。
 なかなか出てきてくれないと、たまに本田望結ちゃん(10歳)になっている。もちろん魔法使いに、一晩でいいから、ジャニーズ系のかっこいい少年にしてくれと、つけ加えるのを忘れない。
 電動車いすの具合がわるくて、いつも世話になっている業者さんにメールを送ったら、すぐにみにきてくれた。分解、調整しながら、世間話をしていると、
「ところで尾崎さんだけ、ちっとも浮いた噂、聞こえてこないんだど、そっちのほうは、とうなの?」
 いきなりだったので、返答に詰まった。
「いやあ、おかげさまで、そっちのほうはずっと平和ですよ。三角関係も、四角関係も、なんにもないです、はい」
 にっこりしていると、
「だめじゃん。平和から卒業しましょうよ~」
「???」
 彼のアドバイスにうんうん、うなずいていたが、街中や店で、こんにちは、とたまに挨拶してくれるのは、4、5歳の子どもぐらいである。あとは会釈しあうぐらいか。知らない人と挨拶してから話してみるったって、言語障害があるから、びっくりされるか、迷惑がられるのは、子どものころからくり返し、学習している。じっさい、ショックだ。街へ出ても、そんな出会いなんて、期待できるわけがなかろう。
 十歳から十九歳までは、日々、障害児施設で過酷な日常動作のくり返しだった。脳性まひという障害への理解がいまのようには進んでいたわけではない。あのころはとにかく、逆さになっても、むりやりにでも、健常者のように身のまわりのことができるようにならなければ、しあわせでないとされていた時代だった。上達しない。できないどころか、長い時間、やればやるほど、体がおかしくなり、いうこときかなっていく不安があった。後遺症の痛みがあちこちに出て問題があがり、かかりつけ医、職員を指導する立場の職員がその事情を知り、そんな無茶苦茶なリハビリはないと、びっくりしながらの言で、現場職員による素人指導?がなくなり、よゆうができたのだ。
 ほっとした。時間もなく、あまりできていなかった勉強に力を入れようと思った。
 いつしか年月が流れていた。
 エレベーターの鏡に映る姿に、
「もう、こんな白髪あたまになっちゃって、トホホ…」
 べつに恋も愛も、そっちのほうは、とうにあきらめているさ。思えば先月(6月)で47歳である。
 それでも、せめて夢の中だけはという、ひそかな期待はあったのだ。
 目が覚めてもである。つらい日々がつづくことがあっても、負けないぞ、と思える気がするからである。
 ある晩、そうして眠りに落ちた。志田未来ちゃんは出てこない。同じ年ごろの女優の桜庭ななみさんがなぜか現れ、
「冴えないオッサンは、うぜ~んだよ」
 会ったとたん、ふきげんに言い捨てて、去って行き、呆然とした。
 四十にして惑わず、というが、うそである。神も仏も信じるもんか。47という、世間でみれば、いい年をしたオッサンも、このショックから立ち直るまで、三日もかかった。

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