自己紹介

生後なかなか首がすわらず、大学病院で検査をしたところ脳性麻痺と診断された(0才5か月くらい)
4歳まで父母と暮らすが、5歳の前半に父と別れ、母の実家で生活を始める。
5歳の終わりごろ障害児、者の施設へ入る。
40歳のときに施設を出て、アパートを借り、介護サービスを受けながら一人暮らしを始める。
 パソコン操作は、サンバイザーに割り箸をつけたのをかぶり、頭を動かしながらキーを打ちます。
*記事に出てくる介助者さんとの関係は、すべての介助者さんとの関係にあてはまるものではありません。
 価値観や好き嫌い、つきあい方も、人がちがえばちがってくるもので、肯定、否定、押しつけ合うのものではありません。
 誤解なきよう、よろしくお願い申し上げます。

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2014年12月 3日 (水)

ジャニーズのイケてる少年にしてくれ

 布団の中で眠りから覚める。
 やはり47の冴えないオッサンである。もうどうでもいいさ。そんな年とか世間とか気にしたって、つきあってくれる女性さえ、ひとりもいなかったからな…。
 あこがれの志田未来ちゃんと、ディズニーランドへ行くんだと、念を込めて寝ているのに、障害児施設にいたころの思い出したくないつらいシーンが出てきて、このところはうなされるばかり。
 なんだかな~。
 枕元のリモコンのボタンをどうにか押し、テレビがつく。と、とたにほおがゆるんだ。ちょうど朝の情報番組〈めざましテレビ〉の視聴者対戦コーナーで、きのうだったか、
「じゃんけんぽん」
 という、本田望結ちゃん(10)のかわいらしい笑顔が現れた。
 お~ぉ。
 ちなみに見た目は冴えないオッサンだけれど、そのとき心は少年だった。
 いやな夢は、一瞬で忘れ、気持ちが穏やかになる。
 それだけで、一日がんばれる気がした。そして思う。
――なぜ、めざまし時計はアラームとか、ベルの音ばっかりなんだ。本田望結ちゃんとか、志田未来ちゃんが起こしてくれるような感じにできるめざまし時計は、ないのか。それとぼくは、手があまり利かないから、1回だけ、『おはよ~、朝だよ~』と言ったら、ボタンを押さずとも、自動で止まるのがいい。
 いや、やっぱり、夜になると思う。せめて、いい夢がみたい、と。
 魔法使いよ、歌って踊れる、ジャニーズのイケてる少年にしてくれ。
 志田未来ちゃん、だめなら、本田望結ちゃんでもいい。
 ディズニーランドに行きたい。今夜こそ念を込めて…。

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2014年11月10日 (月)

街路樹のおばさん

 電動車いすで歩道を行く。
 パリッ、パリ、と落ち葉を踏む音に、街路樹を仰いだ。ずっとつづいていた緑が、赤や黄、茶に染まっている。なんとなく、パーマをかけたおばさんが、道を行き交う人にはっぱをかけているようにもみえる。
 樹木や植物にも感情の変化がある、という実験結果があるらしい。だとしたら、いまのぼくは、どう思われてるんだろう。どっちつかずの、ただの意気地なし…。そうかもしれない。だれにでもやってくるジレンマに、すくんでいただけだ。
 近所へ用があって、アパートの玄関から外の電動車いすへ移乗してもらったのは昼近くだった。小鳥のさえずりが、コンクリートや建物に響く。青い空が広がり、陽射しは温かい。
 日陰にはいると、風の冷たさがいくぶんほおを刺すようになった。十一月十日、暦の上ではもう、立冬を過ぎている。
 行き交う車の排気ガスを浴びながら、街路樹は定められた場で、夏の暑さ、雨風のなかもふんばってたえてきたのだ。
――進むからには覚悟せんと、避けて通れんのがあるんや。すくんだら、あかんで…。
 なぜ関西弁なのか。あたりをみた。それらしき人はない。
 首をかしげる。髪を染めた街路樹のおばさんが、心なしかぼくをみながら、笑っている…。

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2014年10月20日 (月)

生演奏を聴きながら…

 指の動きが素早く、息をのんだ。
 仙台を中心に活躍されているギタリスト、Tacchyさんの演奏の高度なテクニックが、車いすでいた席からよくみえた。
「こんど、生の音楽、聴きに行きませんか」
 PCのハード面の調子がわるいとき、助けていただいている五十代の男のボラさんがいる。音楽にくわしく、息子さんもバンドをしている話を聞かせてくださったことがある。
 
 
「つかれてない?…」
 
 気分転換になるから、と誘ってくださった。出かけたのは、きのう夕方近くだった。
 遊楽庵びすた~り、というレストランが長町(仙台市)にある。料理だけでなく、ジャズ、フォーク、合唱といろんなジャンルの生演奏が、ときどきたのしめるところで、きのうも催しがあった。
「そろそろ夕食にする…」
 ビールのグラスにストローをさしてもらい、ちびりちびり、すすっていた。いくぶん酔いが回ってくると、脳性まひによる筋緊張が和らぐ。だいぶラクになっていた。にっこりぼくはうなずいた。そのころはたしか三人か、四人のグループで、南米系の演奏が流れた。聴いたり、みたりするほうへ、よりいっそう集中でき、舌の動きもいくぶんなめらかになる。話すのが楽になってくると、ボラさんへ、
「南米の音楽って、元気な曲、多いですよね」
「そうね。けどその中に、なんとなくもの悲しい雰囲気があるような…」
 悲しい歴史が関係しているんじゃないか、とそのわけを教えてくださり、あらためて聴き入って、うなずいた。
 疲れた心を癒やしてくれたのは、いつも音楽だった。それは共通なのかもしれない。
 ギタリストのTacchyさんのCDを、アパートの部屋でさっそく流してみた。軽快な響きが心地よく、そのリズムに、体をゆらす…。

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2014年10月15日 (水)

虫の音に…

 小さな鈴をたくさん鳴らしたような、澄んだ音がする。
 一人暮らしのアパートの部屋で夕食をとっていた。六時すぎ、キッチンのほうの小窓をほんの少しあけていた。隙間へ目をやる。すっかり日が暮れていた。
 つくってもらった料理を、手がきかないからスプーンで運んでもらう。パクパクし、首をかしげ、はて、なんの虫だったか、
「コオロギですかね」
 小太りの主婦のヘルパーさんが介助しながら教えてくださり、そうだったと、うなずく。
 おとといの夜、横なぐりの雨で過ぎていった台風が、うそのようだ。もう、ほんとに秋なんだ…。
 平成二十六年十月十五日、静かな夜だ。物思いにふける。
 
 四十七、という年のせいなのか。
――人生なんて…。
 月日の流れの早さに、とまどう…。

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2014年7月25日 (金)

クモから見つめられ

 二センチほどのクモが、机の上を移動していた。
 ふと顔を近づけ、観察する。十センチほど進んだところでクモは、その気配を察知したようにピタリととまる。首だけまわし、顔をあげ、二つの目で、ぼくの目をじっと見つめる。ギョッとした。
 目を少しそらすと、クモはまた前を向いて進む。ふたたび観察しはじめると、とまって、首だけまわし、こちらの目をじっと見返す。何か言いたげだ。人の顔や目が、わかるのか。
 衝撃が大きかったのだろう。その晩、船のような乗り物の中でたくさんのクモに囲まれ、どこかへいく夢をみた。こわいようだけれど、夢の中では心が通じ合っていた。だれかに会わせてくれるという。が、どこへ連れて行かれ、だれと会ったのか、そこだけ覚えていない。
 なんとも妙な気分である…。

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2014年6月22日 (日)

夢の中も もうだめだ

 夜、布団を掛け、消灯してもらう。用が済み、就寝介助のヘルパーさんがアパート玄関を出ると、ぼくは闇の中でしばし祈る。
――志田未来ちゃん、どうか夢に出てきて、やさしくしてください。ディズニーランドか遊園地へいっしょに行きたいです。
 もう10年ぐらいか、心の支えになってくれていたあこがれの女優さんも、21歳になって、もうすぐ結婚したいという。そうなったらやはりショックだけれど、次、探すしかあるまい。
 なかなか出てきてくれないと、たまに本田望結ちゃん(10歳)になっている。もちろん魔法使いに、一晩でいいから、ジャニーズ系のかっこいい少年にしてくれと、つけ加えるのを忘れない。
 電動車いすの具合がわるくて、いつも世話になっている業者さんにメールを送ったら、すぐにみにきてくれた。分解、調整しながら、世間話をしていると、
「ところで尾崎さんだけ、ちっとも浮いた噂、聞こえてこないんだど、そっちのほうは、とうなの?」
 いきなりだったので、返答に詰まった。
「いやあ、おかげさまで、そっちのほうはずっと平和ですよ。三角関係も、四角関係も、なんにもないです、はい」
 にっこりしていると、
「だめじゃん。平和から卒業しましょうよ~」
「???」
 彼のアドバイスにうんうん、うなずいていたが、街中や店で、こんにちは、とたまに挨拶してくれるのは、4、5歳の子どもぐらいである。あとは会釈しあうぐらいか。知らない人と挨拶してから話してみるったって、言語障害があるから、びっくりされるか、迷惑がられるのは、子どものころからくり返し、学習している。じっさい、ショックだ。街へ出ても、そんな出会いなんて、期待できるわけがなかろう。
 十歳から十九歳までは、日々、障害児施設で過酷な日常動作のくり返しだった。脳性まひという障害への理解がいまのようには進んでいたわけではない。あのころはとにかく、逆さになっても、むりやりにでも、健常者のように身のまわりのことができるようにならなければ、しあわせでないとされていた時代だった。上達しない。できないどころか、長い時間、やればやるほど、体がおかしくなり、いうこときかなっていく不安があった。後遺症の痛みがあちこちに出て問題があがり、かかりつけ医、職員を指導する立場の職員がその事情を知り、そんな無茶苦茶なリハビリはないと、びっくりしながらの言で、現場職員による素人指導?がなくなり、よゆうができたのだ。
 ほっとした。時間もなく、あまりできていなかった勉強に力を入れようと思った。
 いつしか年月が流れていた。
 エレベーターの鏡に映る姿に、
「もう、こんな白髪あたまになっちゃって、トホホ…」
 べつに恋も愛も、そっちのほうは、とうにあきらめているさ。思えば先月(6月)で47歳である。
 それでも、せめて夢の中だけはという、ひそかな期待はあったのだ。
 目が覚めてもである。つらい日々がつづくことがあっても、負けないぞ、と思える気がするからである。
 ある晩、そうして眠りに落ちた。志田未来ちゃんは出てこない。同じ年ごろの女優の桜庭ななみさんがなぜか現れ、
「冴えないオッサンは、うぜ~んだよ」
 会ったとたん、ふきげんに言い捨てて、去って行き、呆然とした。
 四十にして惑わず、というが、うそである。神も仏も信じるもんか。47という、世間でみれば、いい年をしたオッサンも、このショックから立ち直るまで、三日もかかった。

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2014年5月27日 (火)

車いす者の気持ち

 車いすを押してもらい、街のイベントなどへ出かけると、見ず知らずの人が声をかけてくださる。
 うれしいお心づかいをいただいたときは励みになるが、とたんに気が重くなることも多い。たとえば夜などデッカい声で、ヘルパーさんのほうだけに、
「この車いすの人のために、こんなところへ、こんな時間まで~? たいへんですわね~~~! お~っほっほっほ」
 こんな声がけが続くと、やっぱりへこむし、人を頼んで出かけるのも、おっくうになってくる。
 ダンナさんを連れたご年配の主婦といった感じで、けっして悪気があるわけではなかろうが、なにしろこういう人にかぎって声がデカい。
 車いすのぼくの気持ちを察してか、そっといっしょにいやそうな顔になって、少し遠くから見守ってださっている知らない人もいた。
 ぼくは体に障害があって、手をかりなければならない身だけれど、もう四十代の大人である。まあ、いいや、となんとか切りかえる。
 もしもである。車いすに乗っているのが、年ごろの男の子や娘さんだったら、傷つかないか。哀愁漂う冴えないオッサンの寂しさを、いつも癒やしてくれているあこがれの女優さんをも浮かべ、首をふる。
 志田未来ちゃんだったらどうか。本田望結ちゃんだったら、どうだろう。
 なんでもないふりをしながら、心のうちで、――なんなんだ、この無神経オバはんは…、と、ため息をつく。
 この主婦の方だって頭ごし、連れへ言われていたら、平気でいられるのだろうか。
「あらまあ、この奥さんのために~、こんなところへ、こんな時間まで~? ダンナさまも、たいへんですわね~~~。お~ほっほっほっ」
 あくまでも、にこやかに…。

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2013年5月20日 (月)

富沢公園へ散歩

 樹木の若葉が揺れ、きらめいている。
 近くの富沢公園へ先日昼過ぎ、電動車いすで行ってみた。若いお母さんたちが、シートを敷いて団らんしている。子どもたちがそばに設置された遊具で遊んでいた。そこを過ぎて遊歩道を進んでいく。ベンチで休んでいる人、カメラを構えている人がいた。
 長町南(仙台市)のアパートに越してから、五年半ぐらいなるだろうか。用事で出かけるばかりで、近くに何があるのか、よくわかっていない。少し探検してみようと思い、昼の介助でみえたヘルパーさんが帰るとき、玄関から外の電動車いすへうつしてもらった。
 公園を抜けてみる。歩道をすすんでいくと、みたこともない建物が並んでいた。角を曲がる。すみません、と声をかけ、にっこり頭をさげて自転車の人がいく。会釈して、見送った。
──そっか、この歩道は、仙台市体育館の敷地のまわりか。すると、向こうは、なんだろう。
 クレーン車みたいな重機があり、ヘルメットをかぶって作業服を着た人たちが工事していたので、上の方をみてから引き返した。
 なぜかわからないが、これまで高いところから物が落ちて怪我をすることが多かった。その経験から、ほとんど条件反射で避けて通る。障害者施設にいたころも、室内では戸棚が外れて落ち、こめかみを怪我して何針かぬった。何かの額縁も、ちょうどぼくがそこにいたとき落ちてきた。それで高いところにあるものを気にするようになった。これもひとつの縁、というものなのだろうか。ふり返れば、ふしぎである。
 仙台市体育館のまわりを一周してから、そこを抜け、そのまままっすぐ、そとてふだんは行かない方向へ行ってみた。近くに家電専門店があれば、便利なんだけど、ときょろきょろしながらだったが、そのようなものはなかった。とんかつ屋さんやガソリンスタンドや、自分としてはあまり利用することはないだろうな。モールがあるから、いっか…。つぶやきながら、時計をみると、そろそろ次のヘルパーさんがアパートにみえる。その時間に合わせて戻り、玄関から中へ移乗して入れてもらわなければならない。
 夢中で進んでいた道を、引き返した…。

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2013年1月14日 (月)

願い

 八畳間のアパートの部屋でパソコンに向かう。ひと息つき、どんよりした気配をレースのかかった窓越しに眺める。置き時計は朝の九時三十分を過ぎるところだ。
──積もるかもしれないな。
 四、五センチを超えれば、車いすで町を行くのは、厳しいかもしれない。病院通いも、タクシーを使わざるを得なくなる。
 北国の人々の暮らしぶりのひとこまが眺めていたテレビに映っていた。
 長い髪の女のレポーターだった。ある家の風呂から上がって外へ出ると、二十秒で髪の毛が凍ったという。みてください、と髪の毛の根元のほうを持って、夜空へ向けた。ガチガチで、ロックバンドのX JAPANみたいな髪のかたちになっていた。
 北海道の知り合いがね、と身近で関わる人が言っていた。
「一日に、四、五回も雪かきしてるんですって」
「へぇ、そうなんですかぁ」
 医者の診断で自分のやっているリハビリなど、せいぜい十五分ぐらいだ。日々の体調のことも、病気のとき以外は、自分から伝えるのが基本だと思うが、たまにいつも向こうから異常なくらい事細かくたたみかけてきいてくる訪問介護の人もいて、
──病気持ちでも、認知症の爺さんでもあるまいし。なんだか、病院にいるみたいで落ち着かないな…。
 内科的にどこもわるくない四十五歳のオッさんは、胸のうちでつぶやく。いろんな人の介助を受けて生活するなかではこういう介護士との出会いもつきものだ。北国の雪かきと比べたら、手足が不自由な者には仕事のうち、と割りきれる気もしてくる。
 平成二十五年一月十四日、早いもので、年が明けてから半月である。
「今年の抱負は、なんですか」
 よく耳にする。このブログをかきはじめて何年になるのだろう。
──う~む。
 読み返して悩む。
 脳性まひ、という障害について、ふだん福祉に関わりのない人に知ってほしい、という思いがあった。
 それもだいじだけれど、福祉の現場はシビアである。自分が訴えたいことをもう少しかいていったほうがよさそうな気もしてきた。
「介護にたずさわる人たちの給料を、あげてほしい!」
「重い障害があっても、社会活動のネックになる生活保護を使わずに、地域生活ができるしくみを作ってほしい」
 重い障害や難病があっても、思う活動ができるようにするためだ。
「ならば、自分で作ったらいいだろう」
 と言われても、人にはそれぞれ、器があろう。あんぽんたん頭ではどうしたら実現できるかわからないので、その方面に得意な人にお願いしたい。
 この冴えないオッさんにできることは、なぜ、そう思うのかを、拙文で伝えるぐらいしか思いつかない。
 だれもが誇りを持って生きる。そんな社会にしていきたいからこそ、ひとりの人間としてのあるがままの心を、いくらかでもわかるよう伝えていく。そんな文をめざしたい…。

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2012年11月 6日 (火)

いつも迷うのです

 重い障害があっても、ひとり暮らしできるんですね。よく言われるけれど、ぼくは、
「ひとり暮らし」
 を期待していたのではなく、
「地域での生活」
 というかたちを選んだのだ。選べない人の手が必要である以上、日々の暮らしもなかなか思うようにいかないときもある、と想定していたからだ。
 何年か前の話を例とする。車いすの知り合いと外で食事をするために、外出介助のヘルパーさんを頼んだ。店へ入り、席に着く。机を挟んで、ことばの不自由な車いすの知り合いの話に、耳を傾ける。
 すると、ぼくについた男のヘルパーさんが、相手の人についていた女のヘルパーさんへ、なぜかいきなりバカでかい声で、関係ない話をはじめ、とまらなくなる。かんじんの相手のことばが聞こえない。みると、さびしげな表情になっていた。くたびれただけだった。ほかのヘルパーさんに、さすがにあれはないよ、と話すと、
「う~ん、どっちが利用者なんだか、わからないよね」
 そう思って、あとで注意し、わかってもらえた。けれど、すぐに辞めて、新しいヘルパーさんに入れ替わる。
 また同じことが起きてしまうか。言わなくても、当たり前、と思い、気分を害されるか。
 あらゆる面でそういう迷いがある。
「ヘルパー手足論」
 なんて、よく本で読んだり、テレビで流れたりした。次々入れ替わる介護者を、そこまで育て続ける体力なんて、みんながあるわけではなかろう。向き不向きだってあろう。そんなエネルギーがあったら、自分は思う活動にこそ使いたい。もちろん冗談を言いあうなど、心をゆるせる仲になった介護の人もいる。しっかりしたヘルパーさんのほうが多いのはいうまでもなく、救いである。
 グチのようになってしまったけれど、後ろ向きの気持ちではない。難病や重い障害があっても、人としての誇りをもち、いきいきと活動ができる社会にしていくには、〈上から目線の福祉制度のありかた〉〈介助者の職業意識の質〉〈介護事業所に人が集まるよう〉いまある問題をなんとかしていかなければならない。つたない文でも、伝えていかなければならない。冴えないオッさんが、いくらかでも役立てるのは、こういうかたちしかないから…。

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2012年9月30日 (日)

〈リセット~本当のしあわせの見つけ方〉

 夫と中高生の娘のいる主婦を演じていたのは、鈴木保奈美さんである。二人の女友達は、高校時代の同級生だ。片方はキャリアウーマンの長女で年老いた母親の面倒をみている。もう一人は、水商売らしかった。三人とも、共通しているのは、
──このまま、年取っていくのよね
 というくたびれた表情だった。
 そこへ魔法使いのような青年が現れ、高校時代へ戻してもらい、人生をやり直す話である。さきほどまで〈リセット~本当のしあわせの見つけ方〉という秋の特別ドラマをみていたのは、あこがれの志田未来さんが出るからだった。
 中身が四十代の女子高生の演技がおもしろかった。三人のなかで、ぼくは志田未来さんと桜庭ななみさんしか知らないけれど、その口調がおばさんになりきっていて、かわいらしい顔とのギャップに笑いがこみ上げた。さすが女優さんである。
 それぞれちがう人生を四十代まで生きてはみるが、けっきょくは元に戻してほしい、となる。そのとき、
「わたし、わかったの。何をするか、じゃなくて、どんな気持ちでするのかが、だいじだったのよね」
 そんな意味の鈴木保奈美さんのセリフが心にしみた。
 いや、それよりも、高校生役を演じる志田未来さんの浴衣姿に頬がゆるみ、心がときめいた。いつのまにかぼくも四十五歳、そのうえ、こんな冴えないオッさんじゃ、夢のなかだって、志田ちゃんに相手にしてもらえないだろうな…。
──魔法使いさん、こっちにも来てください。ジャニーズ系のかっこいい少年にしてください。志田ちゃんのあこがれの阿部寛さんでもいいです。
 よし、きっと、いい夢、みるぞ!

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2012年6月26日 (火)

〈ATARU〉くん

〈ATARU〉くんとは、スマップの中居正広さんがドラマで扮していたサヴァン症候群の青年である。
 十年ほど前だったか、NHKの特集番組で、この障害のある海外の人たちを取材していたのをみたことがある。左脳が働かず、そのぶん右脳が発達した人や、その逆の人、そんな仮説の紹介もあった。
 日常生活やコミュニケーションは不自由だが、いちど読んだ本の内容を、ぜんぶ記憶していたり、いちど見たものを写真のように覚え、絵に再現する。いやなことも、忘れられないと苦しんでいる人もいた。
 日曜日の夜九時、TBSの日曜劇場で、ひょんなことから刑事をサポートすることになる、ちょっとお茶目なキャラで登場していた。症状独特の手の動き、顔の表情、目つき、賛否両論は耳にするけれど、ぼくは中居くんのその演技、よくがんばっていると思ってみていた。
 障害をもった人物がドラマで取りあげられるたび、
「バカにしてる」
 とか、
「あれはないよ」
 とか、否定的に騒ぐ人たちがいる。むかしはそれへ、逆に怒りさえ覚えたことがあった。
 そんなことをしていたら、障害をもった人物をドラマに取りあげるのが面倒くさくなり、お茶の間に登場しなくなろう。いつまでたっても未知の存在のまま、仕切りがなくならないではないか。
 じっさい福祉がすすんでいるようでも、街で脳性まひのぼくの姿をみて、怖がる人も、決して少なくはない。
 脚本家、監督、俳優、視聴者も含めて、わかる人にはわかるし、わからない人には、気づく機会、時期が来なければわからないのである。
 それより、いろんなひとの視野のなかに、障害者もふつうにいる。そんな社会にしていくための種まきにも、こういうドラマはなっているとぼくは思う。
 かりにひとつのドラマに、
「バカにしてる」
「あれはないよ」
 というのを〈障害者〉ではなく、〈健常者〉に置きかえてみるといい…。
 ひとつのドラマで描ける人物像なんて、せいぜい一面ぐらいだろう。見る角度だって、しかりである。だからこそ、こんどは、別の角度からみて描いてみようとなる。
 おととい日曜日は最終回だった。
「障害とか、病気とかっていうのは、なんていうか、名をつけて仕切らなければならないものでしょうか。愛すべき個性としてみることはできないものなんでしょうか。天才にしなきゃいけないものなんでしょうか?」
「わたしは、しっかり区別して、名をつけて、それぞれに合った対応を考えていくべき、と思います」
 たしか、そんなやりとりだった。ひょんなことから〈ATARU〉くんと出会った警視庁で働く者と、ずっと天才に育て上げるための任にあったFBI捜査官の言葉が心に響く。正しいとか、間違っているとか、ではない。どちらも〈ATARU〉くんの、これからを思う気持ちから発せられたものだ。
 重度の障害者、難病者は、いつも主人公としてとりあげられる。ときには喫茶店の隅にいたり、あるいは近所の友だちとかでも、いいのではないか。いつかそんなドラマが、みてみたい…。

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2012年5月10日 (木)

クックパッド

 クックパッドのサイトを眺めるのは、だいたいおなかがすいたときだ。
 スーパーで、マッシュルームが目をひいた。ふわっと白くて、まあるいかたち。横から見ると、クラゲにもみえる。キノコといえば、いつもはマイタケやシイタケ、シメジとかを選ぶ。
 このキノコは、おいしいのか。いつもとちがうのにしようとマッシュルームを買ってみたけれど、どうやって食べるのか、わからない。それで、調理法を検索していたのだった。
──ほぉ、サラダでも、食べられるのかぁ。ほぉ、味噌汁でもいいんだぁ。ヘルパーさんみえたら、作ってもらおうかしら…。
 ぶつぶつと呟きながら、クックパッドのレシピサイトを眺める。冷蔵庫にある残った食材名を打つ。空白を入れていくつか並べて検索しても、
「こんなん、できるよ」
 みたいにずらっと並ぶ。料理にあまりくわしくないぼくは、しみじみ思う。これでヘルパーさんに指示できる。
──クックパッドは、やっぱ便利だ…。

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2012年5月 9日 (水)

隣の芝生は青い

 住宅の並ぶ道のはじっこを、電動車いすで進む。食材の買い出しに、昼前にみえたヘルパーさんと、近くのヤマザワスーパーへ出かけた。
 平成二十四年五月九日、風がほおをかすめる。広がる雲のところどころ、ちいさな青い空がのぞいていた。
 ふとこれまでを思う。運動神経に関わる障害があり、手足があまりいうこときかない。舌がもつれ、言葉がはっきりしない。長町南(仙台市)のアパートをかり、訪問介護サービスを利用しながら地域生活を送る。二、三時間おきに介助が必要となり、それにあわせ、ヘルパーさんがみえる。
 このブログを読んでくださった方に感想のメッセージをいただくたび、いつも励まされる。
 つたない文である。せめて読んでくださった方に、いくらかでも楽しんでもらいたい、という願望がある。たいへんで、がんばっているのはみんな同じ、それはだれだって、わかっているはずという思いがあったからだ。
 それが裏目になるのか。いつも楽しそうで、介助者は指名制なんだろうというような印象になってしまったか、と反省するメッセージもたまにいただく。
 すると、介護の現場の現実が、もっと伝わるほうがいいのか、迷うときもある。
 介助でどんな人がみえるかは、じっさいそのときになってみないとわからないのである。
 利用しているどの介護事業所も募集をかけているが、なかなか集まらないようだ。この職業の競争率はかぎりなくゼロ、いや、マイナスいくらだろう。
 価値観やこだわり、考え、目線も人によってちがう。されが、わからない人もいる。心に何か抱えている人もいる。ペースやテンションも合わせられる人、そうでない人、いろいろである。
 電車もバスも店だって、たまにルールを守れない客もみえるだろう。競争率が低い、というのは、それに近い状況になるわけだ。介護サービス事業所は、利用者にしわ寄せがいかないよう、どこも必死なのである。
 ぼくの場合は、どうしても合わない人が続くのは体がきついから、なるべくいろんな人に来てもらうかたちにしていただいている。そのへんも、いや、同じ人がいいとか、利用者さんによっても考えがちがう。
 健常の人からも、たまに、
「働くのがつらいから、重度の障害者になりたい」
 あるいは、うらやましい、という声を聞く。
 その仕事のつらさは、人との関わりによって生じるものだろう。事故にあって、念願の寝たきりになったとして、こんどは選べない人の手が必要となるだけだ。体の痛みも加わってくる。
 隣の芝生は青くみえる。ネットの誹謗、中傷だって、けっきょくそこからくるのだろう。
 脳性まひ、という障害をもって生まれ、いろんな人の手を借りながら、気づけば四十四年、生きてきた。
 みんな、ほかからはみえない苦しみを抱えているからこそ、それぞれの大切にしているものを、支え合う。そうあるべきじゃないのか。
 そんなことを思いながら、スーパーの入り口に着く。
 あらかじめ、メモしてもらっているのを、カゴに入れてもらう。
「青菜は、いちばん安いので…」
 サポートしてくれていたのは、いつも穏やかな三十代の男のヘルパーさんだった。尾崎さん…、と呼ばれる。
 何種類か並んでいるばあい、そこへ行って、一緒にみながら選ぶのだ。
 帰り道、家々が立ち並んでいる。それぞれの庭に、赤や黄色の花が咲いていた。目の前で、虫が一匹、跳ねたようにみえた。
「あったかいって、動きやすくて、やっぱりいいですよね」
 その声に、にっこりぼくもうなずく。
 いつだったか、ヘルパーさんが、ぼそっと言っていた。
「わだし、よくカマキリ虫っていわれるんですけど、ほかの人はみんな、動物なんですよ。なんで、わだしだけ、昆虫なのか…」
 首を傾げていた。気づかなかったけれど、ぎょろっとした目のあたりがたしかに、それらしかく、まじまじとみながら、
──カマキリ虫の化身?

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